化学工学の基礎を、原理・数式と直感的なイメージの両面から、初学者にもわかりやすくお届けします。
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化学反応で放出・吸収される熱量は、反応器の加熱・冷却、燃焼炉の温度、熱暴走の評価などに直結します。しかし、すべての反応熱を実験で測るのは現実的ではありません。
そこで使うのが標準生成エンタルピーとヘスの法則です。各物質が持つ「基準から見たエンタルピー」を表から読み取り、生成物の合計から反応物の合計を引けば、標準反応エンタルピーを計算できます。
この記事では、標準生成エンタルピーの定義、基準状態、符号の考え方、ヘスの法則、メタン燃焼の計算例、温度補正までを順番に解説します。
- 標準生成エンタルピーの定義と「標準」の意味
- 元素の基準状態で値を0とする理由
- 標準生成エンタルピーから反応熱を求める公式
- ヘスの法則で反応式を足し引きする方法
- メタン燃焼の標準反応エンタルピーの計算
- 温度が298.15 Kと異なる場合の補正方法
標準生成エンタルピーとは?
標準生成エンタルピーは、構成元素をそれぞれの基準状態から反応させ、対象物質1 molを標準状態で生成するときのエンタルピー変化です。記号は \(\Delta_f H^\circ\)、単位は通常 \(\mathrm{kJ/mol}\) で表します。
例えば、25℃付近で液体の水1 molを生成する反応は、
\mathrm{H_2(g)}+\frac{1}{2}\mathrm{O_2(g)}
\rightarrow\mathrm{H_2O(l)}
\]
\[
\Delta_f H^\circ
=-285.830\ \mathrm{kJ/mol}
\]
です。負の値なので、水が元素から生成するときに周囲へ熱を放出することを表します。
エンタルピーの絶対値そのものを測るのではなく、決めた基準状態からの差を表す量です。温度や相が同じでも、基準の取り方が違うデータを混ぜてはいけません。
「標準状態」と「基準状態」を区別する
標準生成エンタルピーを正しく使うには、似た言葉である標準状態と元素の基準状態を区別する必要があります。
| 用語 | 意味 | 例 |
|---|---|---|
| 標準状態 | 標準圧力などで定めた物質の状態 | 理想気体としての標準状態、純液体の標準状態 |
| 元素の基準状態 | 指定温度・標準圧力で元素が安定に存在する状態 | O₂(g)、H₂(g)、N₂(g)、C(黒鉛) |
IUPACでは、標準熱力学量の「標準」は標準圧力などによって特徴づけられ、温度そのものを固定する言葉ではありません。熱化学表は多くの場合、\(298.15\ \mathrm{K}\) で掲載されますが、標準状態=必ず25℃という意味ではありません。
また、元素の基準状態は「その元素を含む物質なら何でもよい」のではありません。298.15 K付近では、酸素はO₂(g)、水素はH₂(g)、炭素は黒鉛が基準です。
基準状態にある元素の標準生成エンタルピーは0
\boxed{
\Delta_f H^\circ
=0\qquad
\text{元素が基準状態にある場合}
}
\]
これは測定して偶然0になったのではなく、熱化学量を比較するための定義です。
| 物質 | \(\Delta_f H^\circ\)を0とするか | 理由 |
|---|---|---|
| O₂(g) | 0 | 酸素の基準状態 |
| H₂(g) | 0 | 水素の基準状態 |
| C(黒鉛) | 0 | 298.15 K付近における炭素の基準状態 |
| O(g) | 0ではない | 酸素原子を作るにはO₂の結合を切る必要がある |
| C(ダイヤモンド) | 0ではない | 炭素の基準同素体ではない |
| H₂O(l) | 0ではない | 元素ではなく化合物 |
標準反応エンタルピーの計算式
一般の反応を、
\sum_i \nu_i A_i=0
\]
と表します。生成物の化学量論係数 \(\nu_i\) を正、反応物を負とすれば、標準反応エンタルピーは、
\boxed{
\Delta_r H^\circ
=\sum_i \nu_i\Delta_f H_i^\circ
}
\]
です。生成物と反応物を分けて書けば、より直感的になります。
\boxed{
\Delta_r H^\circ
=
\sum_{\mathrm{products}}
\nu_i\Delta_f H_i^\circ
–
\sum_{\mathrm{reactants}}
\nu_i\Delta_f H_i^\circ
}
\]
覚え方は「生成物の合計-反応物の合計」です。各物質の前にある化学量論係数を必ず掛けます。
| 符号 | 反応の種類 | エネルギーの向き |
|---|---|---|
| \(\Delta_r H^\circ<0\) | 発熱反応 | 反応系から周囲へ熱を放出 |
| \(\Delta_r H^\circ>0\) | 吸熱反応 | 周囲から反応系へ熱を吸収 |
エンタルピー自体の意味はエンタルピーとは?内部エネルギー・熱・仕事との違いで復習できます。
ヘスの法則とは?
ヘスの法則とは、反応のエンタルピー変化は反応経路によらず、最初と最後の状態だけで決まるという法則です。
エンタルピーは状態関数なので、反応物から生成物へ直接進んでも、複数の仮想反応を経由しても、全体のエンタルピー変化は同じです。
\boxed{
\Delta H_{\mathrm{overall}}
=\Delta H_1+\Delta H_2+\cdots
}
\]
反応式を操作するときの3つの規則
| 反応式の操作 | エンタルピー変化の操作 |
|---|---|
| 反応式を逆向きにする | \(\Delta H\)の符号を反転する |
| 反応式を\(n\)倍する | \(\Delta H\)も\(n\)倍する |
| 複数の反応式を足す | \(\Delta H\)も足す |
例題1:ヘスの法則でCOの酸化熱を求める
次の2つの標準生成反応を使い、一酸化炭素の酸化反応の標準反応エンタルピーを求めます。
\mathrm{C(黒鉛)}+\mathrm{O_2(g)}
\rightarrow\mathrm{CO_2(g)}
\qquad
\Delta H_1^\circ=-393.51\ \mathrm{kJ/mol}
\]
\[
\mathrm{C(黒鉛)}+\frac{1}{2}\mathrm{O_2(g)}
\rightarrow\mathrm{CO(g)}
\qquad
\Delta H_2^\circ=-110.53\ \mathrm{kJ/mol}
\]
求めたい反応は、
\mathrm{CO(g)}+\frac{1}{2}\mathrm{O_2(g)}
\rightarrow\mathrm{CO_2(g)}
\]
です。2番目の反応を逆向きにするため、\(\Delta H_2^\circ\) の符号も反転します。
\mathrm{CO(g)}
\rightarrow
\mathrm{C(黒鉛)}+\frac{1}{2}\mathrm{O_2(g)}
\qquad
-\Delta H_2^\circ=+110.53\ \mathrm{kJ/mol}
\]
この式と1番目の式を加え、両辺に共通する黒鉛を消去します。
\Delta_r H^\circ
=\Delta H_1^\circ-\Delta H_2^\circ
\]
\[
=-393.51-(-110.53)
=-282.98\ \mathrm{kJ/mol}
\]
したがって、CO 1 molの酸化では約283 kJの熱が放出されます。
例題2:生成エンタルピーからメタンの燃焼熱を求める
25℃付近で、メタンが完全燃焼して液体の水を生成する反応を考えます。
\mathrm{CH_4(g)}+2\mathrm{O_2(g)}
\rightarrow
\mathrm{CO_2(g)}+2\mathrm{H_2O(l)}
\]
NIST Chemistry WebBookの代表値を丸めて、次の標準生成エンタルピーを使います。
| 物質 | 状態 | \(\Delta_f H^\circ\) [kJ/mol] |
|---|---|---|
| CH₄ | 気体 | -74.873 |
| O₂ | 気体・基準状態 | 0 |
| CO₂ | 気体 | -393.51 |
| H₂O | 液体 | -285.830 |
手順1:生成物側の合計
\sum_{\mathrm{products}}\nu_i\Delta_fH_i^\circ
=1\times(-393.51)+2\times(-285.830)
\]
\[
=-965.17\ \mathrm{kJ/mol\mbox{-}CH_4}
\]
手順2:反応物側の合計
\sum_{\mathrm{reactants}}\nu_i\Delta_fH_i^\circ
=1\times(-74.873)+2\times0
\]
\[
=-74.873\ \mathrm{kJ/mol\mbox{-}CH_4}
\]
手順3:生成物から反応物を引く
\Delta_rH^\circ
=-965.17-(-74.873)
\]
\[
\boxed{
\Delta_rH^\circ
=-890.30\ \mathrm{kJ/mol\mbox{-}CH_4}
}
\]
負の値なので発熱反応です。メタン1 molが燃焼し、生成水を液体まで冷却した場合、約890 kJの熱が放出される計算です。
水の状態で燃焼熱が変わる
同じ反応でも、生成物の状態が違えば反応エンタルピーは変わります。水蒸気の標準生成エンタルピーは約 \(-241.826\ \mathrm{kJ/mol}\) です。
\mathrm{CH_4(g)}+2\mathrm{O_2(g)}
\rightarrow
\mathrm{CO_2(g)}+2\mathrm{H_2O(g)}
\]
\[
\Delta_rH^\circ
=\{-393.51+2(-241.826)\}-(-74.873)
\]
\[
=-802.29\ \mathrm{kJ/mol}
\]
液体の水を生成する場合との差は、
890.30-802.29
=88.01\ \mathrm{kJ/mol\mbox{-}CH_4}
\]
です。これは水2 mol分の凝縮潜熱に対応します。液体水を生成物とする値はHHV、水蒸気を生成物とする値はLHVに対応します。詳しくは高位発熱量・低位発熱量とは?を参照してください。
H₂O(l)とH₂O(g)は同じ化学式でもエンタルピーが異なります。反応式・データ表・最終状態の相を必ずそろえてください。
反応式の倍率と「1 molあたり」に注意する
反応エンタルピーは、記載した反応式が1回進行したときの値です。反応式を2倍すれば、反応エンタルピーも2倍になります。
\mathrm{CH_4}+2\mathrm{O_2}
\rightarrow\mathrm{CO_2}+2\mathrm{H_2O}
\qquad
\Delta_rH^\circ=-890.3\ \mathrm{kJ}
\]
\[
2\mathrm{CH_4}+4\mathrm{O_2}
\rightarrow2\mathrm{CO_2}+4\mathrm{H_2O}
\qquad
\Delta_rH^\circ=-1780.6\ \mathrm{kJ}
\]
「kJ/mol」とだけ書くと、燃料1 molなのか、反応進行度1 molなのかが曖昧になる場合があります。実務では \(\mathrm{kJ/mol\mbox{-}fuel}\)、\(\mathrm{kJ/mol\mbox{-}reaction}\)、\(\mathrm{kJ/kg\mbox{-}fuel}\) など、基準を明記します。
温度が違うときはKirchhoffの法則で補正する
標準生成エンタルピー表の値が298.15 Kでも、実際の反応温度は異なることがあります。反応エンタルピーの温度依存性は、反応前後の熱容量差で補正できます。
\boxed{
\Delta_rH^\circ(T_2)
=\Delta_rH^\circ(T_1)
+\int_{T_1}^{T_2}\Delta C_p^\circ(T)\,dT
}
\]
\[
\Delta C_p^\circ
=\sum_{\mathrm{products}}\nu_i C_{p,i}^\circ
-\sum_{\mathrm{reactants}}\nu_i C_{p,i}^\circ
\]
温度範囲が狭く、\(\Delta C_p^\circ\) を一定と近似できるなら、
\Delta_rH^\circ(T_2)
\simeq
\Delta_rH^\circ(T_1)
+\Delta C_p^\circ(T_2-T_1)
\]
となります。高温燃焼では比熱の温度依存性が大きく、化学平衡によって生成物組成も変わります。標準反応エンタルピーをそのまま火炎温度に変換するのではなく、反応物と生成物の顕熱を含むエネルギー収支が必要です。
反応器のエネルギー収支へのつなげ方
反応を伴う流通系では、各成分のエンタルピーを「標準生成エンタルピー+基準温度からの顕熱」として表せます。
h_i(T)
=\Delta_fH_i^\circ(T_{\mathrm{ref}})
+\int_{T_{\mathrm{ref}}}^{T}C_{p,i}(T)\,dT
\]
入口と出口でこのエンタルピーを合計すれば、反応熱と温度変化を一つの収支式で扱えます。
\dot Q-\dot W_s
=\sum_{\mathrm{out}}\dot n_i h_i
-\sum_{\mathrm{in}}\dot n_i h_i
\]
装置全体のエネルギー収支はエネルギー収支の基本式と解き方、燃焼温度への応用は断熱火炎温度とは?へつながります。
標準生成エンタルピー表を使う手順
- 原子数が合うように反応式を正しく係数調整する
- 全成分について気体・液体・固体・水溶液などの状態を明記する
- 同じ温度・標準状態・データ体系の \(\Delta_fH^\circ\) を集める
- 各値に化学量論係数を掛ける
- 生成物の合計から反応物の合計を引く
- 負なら発熱、正なら吸熱と判断する
- 必要なら反応式の倍率、温度、質量基準へ換算する
NIST Chemistry WebBookなどのデータベースでは、同じ物質について複数の測定値や評価値が掲載される場合があります。採用値、出典、温度、相、単位を計算書に残しておくと再確認しやすくなります。
初学者が間違えやすいポイント
反応物から生成物を引いてしまう
基本式は「生成物-反応物」です。発熱反応で負になることとセットで確認すると、符号ミスに気づきやすくなります。
化学量論係数を掛け忘れる
メタン燃焼では水の係数が2なので、H₂Oの標準生成エンタルピーも2倍します。
すべての単体を0と考える
0と定義するのは元素の基準状態だけです。O(g)、N(g)、ダイヤモンドなどは0ではありません。
液体と気体を区別しない
相変化には潜熱があるため、H₂O(l)とH₂O(g)では値が異なります。状態記号を省略しないようにします。
反応式を逆向きにしても符号を変えない
正反応が発熱なら、逆反応は同じ大きさの吸熱です。反応式を逆向きにするときは \(\Delta H\) の符号も反転します。
298.15 Kの値を任意温度へそのまま使う
温度が異なれば顕熱補正が必要です。高温では温度依存比熱や平衡組成も考慮します。
標準生成エンタルピーとヘスの法則ミニテスト
QUICK CHECK
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まとめ
- 標準生成エンタルピーは、元素の基準状態から物質1 molを標準状態で生成するときのエンタルピー変化である
- 元素が基準状態にあるときの \(\Delta_fH^\circ\) は0と定義する
- 標準反応エンタルピーは「生成物の合計-反応物の合計」で求める
- ヘスの法則は、エンタルピー変化が反応経路に依存しないことを表す
- 反応式を逆向きにすれば符号を反転し、式を倍すれば \(\Delta H\) も倍にする
- 同じ化学式でも液体・気体などの状態が違えば反応熱は変わる
- 298.15 K以外では熱容量差による温度補正が必要になる
標準生成エンタルピーは、さまざまな化学反応を共通の基準で比較するための「エネルギーのものさし」です。反応式、相、係数、符号を丁寧にそろえれば、未知の反応熱も表データから計算できます。
反応器設計や安全評価では、標準生成エンタルピーだけでなく、実温度・圧力での顕熱、相変化、溶解・混合、反応率、副反応を含めます。採用する物性データの出典、評価値、基準状態、単位を統一してください。
参考資料
- IUPAC Gold Book:reference state
- IUPAC Gold Book:standard thermodynamic quantities
- IUPAC Gold Book:standard reaction quantities
- NIST Chemistry WebBook:Methane
- NIST Chemistry WebBook:Carbon dioxide
- NIST Chemistry WebBook:Water
- NIST Chemistry WebBook:Carbon monoxide


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